研究・学会発表
明治・陽光の画家「吉田ふじを」の絵画技法
-光学資料に観られる造形の変遷-
-光学資料に観られる造形の変遷-
平成14年から平成15年にかけて、府中市美術館、福岡市美術館において、「吉田ふじを展」が開催された。その発表に先立って作品の調査や修復がおこなうこととなり、光学的な調査を修復前、および修復後におこなった。明治生まれの女流画家、または陽光の画家として知られる吉田ふじをは、明治20年に福岡に生まれる。幼くして小山正太郎の不同舍に通い洋画の基礎を学ぶ。また生涯の師であり、夫でもある吉田博と出会い、二十歳で博と結婚する。浩の妻として夫にその才能を見いだされ、明治大正昭和の時代に活躍した女流画家である。先の両美術館に於ける展覧にも、その数多く残された水彩による風景、人物による作例を観ることができるが、生涯のうち少なからず油画を描いたよう画家でもあった。後年には油画による抽象的な表現も試みている。水彩画、油画、版画に風景、人物また抽象表現と、多才な画風の源は、洋画の基礎である素描や、伝統的な洋画の理解があればこそ発展した物であると言える。
本発表では、現存する油画を中心に、X線写真による光学的な調査や、観察から得られた情報をもとに、筆触や筆致から観察できる造形の解釈や、それに観られる製作過程の痕跡を彼女の画面なかから探り、ふじをの過ごした各時代の油画による画業を、技法的な観点で観察しようと試みるものである。初期からの水彩による風景、人物画に観られる洋画の基礎的な造形性は、若年期の油画の描写にも明瞭に現れている。光を意識した、まさに陽光を意識した表現は、多くの風景画や人物画に観ることができる。さらに初期の画面とは異なる着眼点で描かれた後年の、やや抽象的とも見える植物の部分を描出した油画やそれらをもとに思いつきのように制作したというグラフィカルな版画表現、さらに後年に現れる植物の部分的な表現は、描写にとどまる事なく画面全体を意識した「構成表現」へと展開していく。洋画泰明期より活躍した女流画家、吉田ふじをの現そうとした画面は如何なるものか。本論では若年時代より後年まで制作された現存する数点の油画を対象とし、特に後年の1940年代後半から70年代頃までの20年間の抽象的な表現を「抽象・前期」、「抽象・後期」と位置づけし、作例の観察を試みた。
本発表では、現存する油画を中心に、X線写真による光学的な調査や、観察から得られた情報をもとに、筆触や筆致から観察できる造形の解釈や、それに観られる製作過程の痕跡を彼女の画面なかから探り、ふじをの過ごした各時代の油画による画業を、技法的な観点で観察しようと試みるものである。初期からの水彩による風景、人物画に観られる洋画の基礎的な造形性は、若年期の油画の描写にも明瞭に現れている。光を意識した、まさに陽光を意識した表現は、多くの風景画や人物画に観ることができる。さらに初期の画面とは異なる着眼点で描かれた後年の、やや抽象的とも見える植物の部分を描出した油画やそれらをもとに思いつきのように制作したというグラフィカルな版画表現、さらに後年に現れる植物の部分的な表現は、描写にとどまる事なく画面全体を意識した「構成表現」へと展開していく。洋画泰明期より活躍した女流画家、吉田ふじをの現そうとした画面は如何なるものか。本論では若年時代より後年まで制作された現存する数点の油画を対象とし、特に後年の1940年代後半から70年代頃までの20年間の抽象的な表現を「抽象・前期」、「抽象・後期」と位置づけし、作例の観察を試みた。
(文化財保存修復学会2004年第26回大会にて)