研究・学会発表
「寺崎武男の多彩な支持体を用いた絵画技法と作品の修復」
1. はじめに
弊社の修復スタジオでは幕末、明治期に生まれた作家の研究を折に触れておこなっている。今回は女子美術大学の理事長、大村智氏の収集する作品の中から寺崎武男の作品を三十数点にわたり修復をおこなう機会を得た。
寺崎武男は1907(明治40年)東京美術学校卒業後ヴェニスとベルリンを拠点にフレスコやテンペラ・エッチング・水彩画・油絵などさまざまな絵画技術を学び我が国に持ち帰り、洋画の発展に貢献した画家だ。如何に保存性に優れた材料を絵画に選択するかという研究の側面をもって創作の活動をおこなった作家でもある。1930年には日本人初のヴェニス・ビエンナーレ国際展に入賞し、国内では日本創作版画協会を創立するなど国内外で活躍した。また、1949年、焼失した法隆寺の金堂壁画のために国宝の輪堂一面に壁画を画いたことも知られ、明治神宮の聖徳記念絵画館にはいまでも「軍人勅諭下賜ノ壁画」が収蔵されている。今回修復した数十点にわたる作品はフレスコ1点を含む、他はテンペラ技法で描かれた作品である。寺崎武男のご長男の執筆した書物には、「テンペラとは油絵と水彩画の中間にあり、油絵や水彩が生まれる以前からの画法〜」と寺崎武男の言葉が記されている。水性と油性の混合の媒材である西洋の伝統的なテンペラ技法を駆使し、数十点にわたる作品の支持体には、さまざまな自家製の支持体を使用している。油画とは異なり色材の媒材が半水性であることから、ある程度吸収性のある画地が必要だ。油画の場合、乾性油等を使用する事から展色剤の多くを下地に多く吸収される事は絵具の固着には適さない。いわゆるエマルジョンであり水性の色材にも適した基底材という選択肢は、身の回りにある自家製の素材への選択の幅を広げ、板やキャンバスのみならず、さまざまな支持体を利用し吸収性のある画地や基底材を拵えることを容易にしたと考えられる。本論では寺崎武男がテンペラ画に用いた支持体に着目し 1.麻布/カンバス 2.洋紙厚紙 3.和紙 4.ベニア合板 5.紙製板に紙貼り 6.圧縮合板 7.木枠に紙を張る 8.絹を和紙で裏打ちしたもの 9.厚手のテーブルクロスなど9種類にも及ぶ支持体を分類し考察した。またその中で絹を和紙に裏打した作品に対する支持体の補強のための修復報告も併せて発表する。
弊社の修復スタジオでは幕末、明治期に生まれた作家の研究を折に触れておこなっている。今回は女子美術大学の理事長、大村智氏の収集する作品の中から寺崎武男の作品を三十数点にわたり修復をおこなう機会を得た。
寺崎武男は1907(明治40年)東京美術学校卒業後ヴェニスとベルリンを拠点にフレスコやテンペラ・エッチング・水彩画・油絵などさまざまな絵画技術を学び我が国に持ち帰り、洋画の発展に貢献した画家だ。如何に保存性に優れた材料を絵画に選択するかという研究の側面をもって創作の活動をおこなった作家でもある。1930年には日本人初のヴェニス・ビエンナーレ国際展に入賞し、国内では日本創作版画協会を創立するなど国内外で活躍した。また、1949年、焼失した法隆寺の金堂壁画のために国宝の輪堂一面に壁画を画いたことも知られ、明治神宮の聖徳記念絵画館にはいまでも「軍人勅諭下賜ノ壁画」が収蔵されている。今回修復した数十点にわたる作品はフレスコ1点を含む、他はテンペラ技法で描かれた作品である。寺崎武男のご長男の執筆した書物には、「テンペラとは油絵と水彩画の中間にあり、油絵や水彩が生まれる以前からの画法〜」と寺崎武男の言葉が記されている。水性と油性の混合の媒材である西洋の伝統的なテンペラ技法を駆使し、数十点にわたる作品の支持体には、さまざまな自家製の支持体を使用している。油画とは異なり色材の媒材が半水性であることから、ある程度吸収性のある画地が必要だ。油画の場合、乾性油等を使用する事から展色剤の多くを下地に多く吸収される事は絵具の固着には適さない。いわゆるエマルジョンであり水性の色材にも適した基底材という選択肢は、身の回りにある自家製の素材への選択の幅を広げ、板やキャンバスのみならず、さまざまな支持体を利用し吸収性のある画地や基底材を拵えることを容易にしたと考えられる。本論では寺崎武男がテンペラ画に用いた支持体に着目し 1.麻布/カンバス 2.洋紙厚紙 3.和紙 4.ベニア合板 5.紙製板に紙貼り 6.圧縮合板 7.木枠に紙を張る 8.絹を和紙で裏打ちしたもの 9.厚手のテーブルクロスなど9種類にも及ぶ支持体を分類し考察した。またその中で絹を和紙に裏打した作品に対する支持体の補強のための修復報告も併せて発表する。
2. テンペラ技法と寺崎武男の作品に観られる支持体
テンペラ技法とは一般に不透明な水性絵具で描かれた作品をさして呼ばれる事があるが、上記の寺崎武男の言葉にもあるように、油彩と水彩の中間であると定義づけられる。両方の特質を持つその展色剤は、水性の膠や油性、即ち乾性油などの媒材を混合し両者が混在した状態にある、いわゆるエマルジョン状態の媒材だ。天然のエマルジョンには卵や牛乳があるが、水性の媒材を含み水彩画にもやや近い事から、エマルジョンの媒材には支持体として、その水分をある程度、吸収することが出来る素材が画地として適合すると考えられる。またカンバスや板のみならず、半水性であることから紙、和紙など、薄く軽い素材も適用が可能であり、様々な物が選択できる利点がある。寺崎武男はそのことを利用し、身の回りの様々な物をテンペラ絵画用の支持体、基底材として試用したと考えられる。それらの材料に加え、パステルで加筆したりもして表現に幅を加えていった。
テンペラ技法とは一般に不透明な水性絵具で描かれた作品をさして呼ばれる事があるが、上記の寺崎武男の言葉にもあるように、油彩と水彩の中間であると定義づけられる。両方の特質を持つその展色剤は、水性の膠や油性、即ち乾性油などの媒材を混合し両者が混在した状態にある、いわゆるエマルジョン状態の媒材だ。天然のエマルジョンには卵や牛乳があるが、水性の媒材を含み水彩画にもやや近い事から、エマルジョンの媒材には支持体として、その水分をある程度、吸収することが出来る素材が画地として適合すると考えられる。またカンバスや板のみならず、半水性であることから紙、和紙など、薄く軽い素材も適用が可能であり、様々な物が選択できる利点がある。寺崎武男はそのことを利用し、身の回りの様々な物をテンペラ絵画用の支持体、基底材として試用したと考えられる。それらの材料に加え、パステルで加筆したりもして表現に幅を加えていった。
3. 寺崎武男が使用したテンペラ画用の9つの支持体
支持体、基底材として用いた物は、特殊な物ではなく、手に入り易い身の回りにある材料だ。数多く描くために、手軽で確実に基底材となるものを選んでいる。カーテンやシーツと見紛うような素材の布までも作品の支持体として採用している。以下に今回の34点の作品調査によって明らかになった9種類の支持体を分類する。1.カンバス: 麻布に白色の予備的な地塗りを施したものを木枠に張込んで描いた。2.洋紙厚紙:厚めの洋紙を用い、直接描画した。3. 和紙: 和紙に描き軸仕立てにした。4. ベニア合板: いわゆるベニア板、積層合板に直接描画した。 5. 紙製板に紙貼り:厚紙に紙を貼付け描画した。 6. 圧縮合板 :人工圧縮板に描いた。7. 木枠に紙を張る:厚紙をカンバス用の木枠に張込んで描いた。8. 絹を和紙で裏打ち:絹に和紙で裏打して描き、木製のパネルに張込んだ。 9. シーツやカーテンに見られるような織り模様のある厚手の布に描いた。などが挙げられる(写真資料参照)。これらは一般に描く前に施されるジェッソなどの予備的な白色地塗りなどを適用していないものも多くあり、和紙、絹、厚紙など、多彩な素材のもつ色調をそのまま活かして直接に描画されていることが少なくない。
支持体、基底材として用いた物は、特殊な物ではなく、手に入り易い身の回りにある材料だ。数多く描くために、手軽で確実に基底材となるものを選んでいる。カーテンやシーツと見紛うような素材の布までも作品の支持体として採用している。以下に今回の34点の作品調査によって明らかになった9種類の支持体を分類する。1.カンバス: 麻布に白色の予備的な地塗りを施したものを木枠に張込んで描いた。2.洋紙厚紙:厚めの洋紙を用い、直接描画した。3. 和紙: 和紙に描き軸仕立てにした。4. ベニア合板: いわゆるベニア板、積層合板に直接描画した。 5. 紙製板に紙貼り:厚紙に紙を貼付け描画した。 6. 圧縮合板 :人工圧縮板に描いた。7. 木枠に紙を張る:厚紙をカンバス用の木枠に張込んで描いた。8. 絹を和紙で裏打ち:絹に和紙で裏打して描き、木製のパネルに張込んだ。 9. シーツやカーテンに見られるような織り模様のある厚手の布に描いた。などが挙げられる(写真資料参照)。これらは一般に描く前に施されるジェッソなどの予備的な白色地塗りなどを適用していないものも多くあり、和紙、絹、厚紙など、多彩な素材のもつ色調をそのまま活かして直接に描画されていることが少なくない。
4. 作品の状態と修復事例
調査の結果、対象作品の状態は汚れ、塵埃の付着、擦れ傷、また支持体の劣化や損傷などが挙げられるが、中でも著しく支持体が傷んでいた作品に絹に和紙を裏打して障子のような木製パネルに袋張りした作品であった。この作品は支持体の和紙の酸化が著しく、欠損や穴あきなどもあることからパネルから外して裏打をおこなった。水性の接着剤では、テンペラの絵具層やパステルを溶解する可能性もあるので、ホットメルトのBeva接着剤を用い、薄めの麻布で裏打しパネルに貼り直した。そして欠損した箇所に合わせた布を貼り原画の高さに合わせ充てん、補彩をおこなった。
調査の結果、対象作品の状態は汚れ、塵埃の付着、擦れ傷、また支持体の劣化や損傷などが挙げられるが、中でも著しく支持体が傷んでいた作品に絹に和紙を裏打して障子のような木製パネルに袋張りした作品であった。この作品は支持体の和紙の酸化が著しく、欠損や穴あきなどもあることからパネルから外して裏打をおこなった。水性の接着剤では、テンペラの絵具層やパステルを溶解する可能性もあるので、ホットメルトのBeva接着剤を用い、薄めの麻布で裏打しパネルに貼り直した。そして欠損した箇所に合わせた布を貼り原画の高さに合わせ充てん、補彩をおこなった。
5. まとめ
寺崎武男は絵画制作のなかで材料や技法を選択する理由のなかに如何に「保存性に優れているか」というところに重きを置いている。残された文献などには、その考え方が反映されている。東西の壁画研究に時間を費やし長年にわたって存在する既存の壁画の保存性を鑑み、「壁画が永遠に保存せられるや否やということも、壁画自身が記念という観念の為に発達したものであるから、その永遠的性質を充分備えている事は言をまたない。まずごく近き例をあげれば、法隆寺の壁画である」と壁画の保存状態の優位を記している。また、寺崎の父、遜(とおる)は山縣有朋内務大臣の参議をしていたこともあり、山縣伊三郎公爵より「軍人勅諭下賜ノ壁画」の制作を委託された。この作品は現在も聖徳記念絵画館に納められている。大正15年に描かれたこの作品のための材料、技法に関する本人の記述が残されている。「如何にして変色を避けるか」また寺崎は、油絵の材質について「油絵は僅かの年代にも黒く油焼けがして、全体の色調が暗くなり、又、カンバスを焼き、その布地を作る糸は非常に弱くなり修理に困難になる」と述べている。特に近代に使用されだしたチューブ入りの絵具に、古典技法に使用された色材との違いや危惧も書き残している。さまざまな記述は、古典技法や伝統壁画の保存の優れた点に言及する。当時すでに工業生産されていた色材などは積極的には採用せず、自分の目で確かめ、保存性を第一に考えた自家製の素材を選択している。寺崎は、明治神宮奉賛会の委託となった3年間を含め十数年、「如何に名画を萬代に伝えることが出来るか」を研究主題にしていることから欧州では保存修復の観点で作品を観察している様子も伺える。明治神宮の絵画館に収蔵される作品に関し「自分の作品は他の作品と同じように手入れをしないように加筆やワニスを塗布しないように」と念願したという。我が国において、テンペラ技法が半水性であった事や和紙を使用していることも含め、油画のための材料を、自分の作品に適用する事で材質が暗色化することを正しく理解されないと危惧したのだろう。寺崎武男は壁画以外ではテンペラを多用した。今回の調査でもテンペラに使用された9つの支持体の素材は概ね自家製である。またテンペラ技法である以上、使用した絵具も顔料と展色剤を自ら混ぜて制作したと考えられる。テンペラの油性、水性の両者の特性を理解することで、作品の多くは、和紙、絹、木製材料をはじめとする吸収性のある材料に予備的な地塗り無しに直接描画して表現しているものも少なくない。その技法によって身の回りにあるさまざまな素材を活かし基底材として選ぶことが可能になったと考えられる。寺崎武男は欧州で身に付けた絵画技法を巧みに応用し、独自の表現を試みた極めて特異な作家であったことがわかる。
寺崎武男は絵画制作のなかで材料や技法を選択する理由のなかに如何に「保存性に優れているか」というところに重きを置いている。残された文献などには、その考え方が反映されている。東西の壁画研究に時間を費やし長年にわたって存在する既存の壁画の保存性を鑑み、「壁画が永遠に保存せられるや否やということも、壁画自身が記念という観念の為に発達したものであるから、その永遠的性質を充分備えている事は言をまたない。まずごく近き例をあげれば、法隆寺の壁画である」と壁画の保存状態の優位を記している。また、寺崎の父、遜(とおる)は山縣有朋内務大臣の参議をしていたこともあり、山縣伊三郎公爵より「軍人勅諭下賜ノ壁画」の制作を委託された。この作品は現在も聖徳記念絵画館に納められている。大正15年に描かれたこの作品のための材料、技法に関する本人の記述が残されている。「如何にして変色を避けるか」また寺崎は、油絵の材質について「油絵は僅かの年代にも黒く油焼けがして、全体の色調が暗くなり、又、カンバスを焼き、その布地を作る糸は非常に弱くなり修理に困難になる」と述べている。特に近代に使用されだしたチューブ入りの絵具に、古典技法に使用された色材との違いや危惧も書き残している。さまざまな記述は、古典技法や伝統壁画の保存の優れた点に言及する。当時すでに工業生産されていた色材などは積極的には採用せず、自分の目で確かめ、保存性を第一に考えた自家製の素材を選択している。寺崎は、明治神宮奉賛会の委託となった3年間を含め十数年、「如何に名画を萬代に伝えることが出来るか」を研究主題にしていることから欧州では保存修復の観点で作品を観察している様子も伺える。明治神宮の絵画館に収蔵される作品に関し「自分の作品は他の作品と同じように手入れをしないように加筆やワニスを塗布しないように」と念願したという。我が国において、テンペラ技法が半水性であった事や和紙を使用していることも含め、油画のための材料を、自分の作品に適用する事で材質が暗色化することを正しく理解されないと危惧したのだろう。寺崎武男は壁画以外ではテンペラを多用した。今回の調査でもテンペラに使用された9つの支持体の素材は概ね自家製である。またテンペラ技法である以上、使用した絵具も顔料と展色剤を自ら混ぜて制作したと考えられる。テンペラの油性、水性の両者の特性を理解することで、作品の多くは、和紙、絹、木製材料をはじめとする吸収性のある材料に予備的な地塗り無しに直接描画して表現しているものも少なくない。その技法によって身の回りにあるさまざまな素材を活かし基底材として選ぶことが可能になったと考えられる。寺崎武男は欧州で身に付けた絵画技法を巧みに応用し、独自の表現を試みた極めて特異な作家であったことがわかる。
最期に今回の研究では、さまざまな文献や資料、また貴重なお話も快く提供して頂きました寺崎武男のご子息、寺崎裕則氏と、作品の多くを提供して頂き、研究の機会をいただきました女子美術大学理事長 大村智氏に感謝申し上げます。
参考文献:イタリア書房,「イタリア図書44〜47」2012,寺崎裕則,東京/館山市立博物館,「寺崎武男の世界」2003,寺崎裕則,館山/美術出版社,「絵画技術入門」1988,佐藤一郎,東京/株式会社美術出版社,「マックス・デルナー:絵画技術体系」1984,マックス・デルナー 佐藤一郎訳,東京
(文化財保存修復学会2013年第35回大会にて)